岡山大学俳句研究部より、9月の俳句が届きました。
今月の句は「雨戸のない家に住みけり稲光」です。
解説
最近では、アパートやマンションなど集合住宅の増加により、雨戸を見る機会がめっきり減ってしまったので、掲句を見て、思わず懐かしさが込み上げてきた。
ガラス窓の無かった時代には、障子の外側に木製でできた引き戸を設け、雨や風が家の中に入るのを防いでいたし、窓にガラスが嵌め込まれるようになってからも、隙間から雨が侵入したり、台風の時に飛んできたモノでガラスが割れたりするのを防ぐ目的で、「雨戸」は多くの家で使われていたようだ。
筆者が小学生だったの頃は、台風到来の報が届くと、戸袋から雨戸を引き出して家の外回りを覆うのが、私の役目でもあった。
最初の頃は、戸袋から雨戸を取り出すのに時間がかかり苦労したものだったが、慣れてくると、戸袋を持つ位置や力の入れ方などのコツも掴めて、時間を掛けず閉めることができるようになって、ひとりご満悦だったことを思い出す。
雨戸というのは、閉め切ってしまうと、電気を点けない限り、部屋は真っ暗なので、まるで皆既日食にでも遭遇したかのような錯覚に陥ってしまうし、籠城した武士の気分になったりすることを経験できる不思議な舞台装置のようにすら感じられたものだ。
そんな筆者の経験を、思い出させてくれるかのように、作者は「雨戸」と「稲光」の組み合わせによって掲句を詠んでくれた。
作者は「稲妻は雷と違って光だけを表す言葉であり、その光る様子は雨戸のない家であればよく見える。また、雷というとその轟きによって不安が強まるが、ピカピカと稲妻が光っているだけの空は妙に興味深い。
その一方で、雨戸のない家というのは、その後の台風などのことを考えると少し頼りなく感じる。」と作句のきっかけを語ってくれている。
一方、掲句の選者は、「雨戸がない、ということを、これまであまり意識したことはなかったけれど、確かに、かつて祖父母の家に行った時、荒天になってくると雨戸を立てていたような…。
近頃、雨戸のある家は減っているが、「雨戸のない」と表現することは、「雨戸のある」家を知っているということであり、そのことによって、「雨戸のあること」の安心感との対比、稲光が見えた時に感じる外界の脅威を遮る雨戸のないことへの心許なさが、却って際立ってくるように感じられると同時に、「住みけり」と言い切ることによって、住人たる自分自身に強くフォーカスが当たり、悪天候にガラス一つ隔てて取り巻かれている「私」のちいささを引き立てているようにすら思われる。」と評してくれた。
もう一人の選者も、「雨戸がないと言うことで、季語である稲光の強さや勢いが際立っていると思った。」と同様の視点からコメントしてくれている。
普段は気に止めることもない、雨戸が無いという事実を認識したところに掲句の発見があり、雨戸によって作り出される「闇の世界」と「稲光」を対比させるという「からくり」によって、昨今、話題に上る防災のことにまで思いを馳せらせる機会を与えてくれた作者の手腕にエールを贈りたい。
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