岡山大学俳句研究部より、10月の俳句が届きました。
今月の句は「神の留守 山陽道に朝は来て」です。
解説
掲句の届く、ほんの少し前、偶然にも出雲大社まで足を運んできたところだった。出雲大社は、言うまでもなく、大国主命を祀る神社である。記紀神話では、この祭神が、出雲地方を天照大神に献上し、その代償としてこの社を建てたと言われている。何度訪れても、大社造りの神々しいまでの社や周囲に林立する大木の在り様に圧倒されるばかりである。
出雲神話については、その真実のほどは、定かではないが、記紀によれば、素戔嗚の尊、大国主命を中心とし、ヤマタのオロチ,イナバのシロウサギなどの話が有名で、神話の最後は、大国主命がお国を献上するという形で、高天原神話に統一されることになるが、出雲国風土記には、上記とは別系統の神話が残されていると言うから、興味深い。
歴史書の多くは、勝利者の立場で描かれたものであることから、制服された者から呪いを受けないように、敗者の霊魂を鎮魂するかのような描き方がされていることにも納得できる。
出雲大社の周辺には、見るべきところが多いが、「神無月」に関係の深いのが稲佐の浜だ。大社から見て西の方に位置する浜で、旧暦10月に全国から、様々な縁を求めて集まって来る八百万の神が、この浜に上陸し、神迎えの神事を済ませたあと、出雲大社へ迎え入れられて1週間ほど滞在することになるのだ。先だっての訪問時には、境内にあるこれら神々の宿舎と言われている祠を見ることもできた。
さて、前置きが随分長くなってしまったが、掲句の季語は「神無月」で旧暦10月の異称である。前述の通り、八百万の神々が出雲に集まり、出雲の地以外には、神がいなくなるとのことからこの名が付けられている。
掲句では、上五の「神の留守」という季語の持つ陰鬱で荒涼たるイメージから、一気に山陽道の朝へと転ずる場面展開が鮮やかだ。
そして、世の中から神様が居なくなったとしても、山陽道には再び朝が訪れるという事実を認識した上で、永遠に自転を繰り返している地球の偉大さに改めて気付かされると同時に、自然へ畏敬の念を抱くことになるのだ。
掲句の作者は、「朝日がゆっくりと昇ってきているその神秘的な様子に、神様は既に過ぎ去っていても、どこか守られているような感覚を持ちながら一日が始まるという思いで描いた句です。神の留守というと暗い印象ですが、山陽という明るい字面が作中主体の気持ちの明るさをも表しています。」とその感想を伝えてくれた。
また、掲句の選者は、「島根では神有月と言われる神無月、神々がこぞって通り過ぎたかもしれない謎めいた通り道と、車の往来する高速道路、しかもそこに朝がやってきているという見通しのいい光景の取り合わせ・対比が絶妙に思われた。」その感想を漏らしてくれた。
二人の弁にあるように、神無月の「陰」と山陽道の「陽」の対比が、句に奥行と幅を持たせる効果を生むと共に、読者に対し、とこ永遠に続く自然の摂理に対する憧憬をも抱かせてくれる示唆に富んだ一句である。
さて、本稿が掲載される頃は、そろそろ神様たちが、出雲の国から各地へ戻ってくるく頃であろうか?
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