岡山大学俳句研究部より、6月の俳句が届きました。
今月の句は「夜すすぎの音に自意識洗ひけり」です。
解説
掲句の季語は「夜すすぎ」で季節は夏。
その意味は、夜になってする洗濯のこと。冷房も電気洗濯機もない頃、夏になると夜を待って手洗いすることが多かったそうであるが、確かに、幼少の頃、日が暮れ、少し涼しくなるのを見計らうように、祖母が盥に水を入れ、洗濯板を使って、肌着など翌朝までに乾いてしまいそうなものを洗っていた光景を思い出す。
掲句の作者は、その鑑賞文に「夜、静かな中に響く洗濯機の水音に、眠りを妨げる自意識の訴えを鎮められていくような心地がした。
夜の洗濯は朝の忙しいそれと違い、孤独の中にあるような感じがしますが、静かなだけに、その水音は、就寝前にあれこれ考えてしまう頭に高く心地よく響くように感じられました。」と添えてくれている。
掲句は、勿論、盥と洗濯板を使っていた時代の「夜濯ぎ」ではなくて、電気洗濯機、全自動洗濯機であれば、乾燥までしてくれる現在を詠んだもので、周囲に誰一人居ない「夜濯ぎ」の場面である。
洗濯機が廻れば、筆者などは、モーターの唸りや回転する時の渦の音、脱水時のモーターの音や飛沫の飛び散る音、ボタンが洗濯槽に触れる時発する音などに耳を奪われ、本来は「濯ぐ」という洗濯する行為の中心にあるべき「水音」に想像が至らない訳であるが、作者は、聴こえ来る前述の雑多な音の中で、純粋に「水音」だけを聴き、耳を傾け、しかもその音に自意識を洗われるかのような錯覚を覚えたのだ。
掲句をもう一度、復誦してみよう。
夜濯ぎをしているのは、確かに、洗濯機そのものかもしれない。
しかし、作者に聴こえていたのは、洗濯機の発する数ある音の中で、盥と洗濯板で洗濯していた頃から普遍である「濯ぐ」という行為の本質である「水音」だけだったのかもしれない。
そう言えば、「夜濯ぎ」の「濯ぎ」は訓読みで「すすぐ」であるが、洗濯機という言葉の中にある「濯」の文字は音読みで「たく」である。音に依って、受ける印象の大きく変わる例は、枚挙に暇がないが、作者は、無意識の内に、洗濯機の音を聞きながら「濯(たく)」ならぬ、訓読みの「濯ぐ(すすぐ)」水音を聴き、掲句を思いついたに違いない。
確か、片山由美子の句に「音」(3通りの読み(オン、オト、ネ))を含む言葉を使った句があった様に記憶するが、同じ文字でも読み方によって、その印象が全く異なってくるのも事実。
掲句は、嘗て夏の叙事詩でもあった「夜濯ぎ」の思い出から、漢字の読みに至るまで発想を飛躍させてくれた、夏ならではの「涼やかさ」をもたらせてくれる佳句だ。
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