岡山大学俳句研究部より、4月の俳句が届きました。
今月の句は「萵苣の水つたふ我が手の我が手なる」です。
解説
掲句の季語は「萵苣」で、季節は春。読みは「チシャ」で、レタスのこと。
新鮮なものは、丁寧に剥がしていかなければ、直ぐに千切れてしまうほど華奢なので、料理をする時に神経を尖らせることもしばしば。
水分をたっぷり含んだ新鮮さが売りであるが、日が経つと商品価値は一気に下がり、瑞々しさは失せて、全くの別物に成り果ててしまうのだ。
瑞々しいのは、実物から受ける印象だけではない。耳に響く「チシャ」という言葉自体が歯切れ良く、また、別称の「レタス」も耳障りの良い言葉でどこか爽やか、いずれにも水との縁が感じられるのが不思議だ。新鮮なものは、前歯で噛んだ瞬間にパリっと音がして、噛み続けると、シャキシャキと口の中で水が弾け、口内にまるで湖が広がっていくようで心地よい。
筆者が好んで使用する食材であり、冷蔵庫内に欠かすことはない。
「萵苣」を詠んだ句は数多いが、その瑞々しさを見事に表現した句に「すみずみに水行き渡るレタスかな」がある。俳句を嗜む人は良くご存じの櫂未知子さん作で、レタスが、水の塊であることを見事に表現した句である。
櫂さんとは、これまでに、岡山や、結社の句会で句座を共にしたことがあり、色々と指導頂いた記憶がある。俳句に取組む姿勢は、誠に真摯で、とても刺激を受けたものだ。後楽園の吟行や、駅近くの居酒屋で一献傾けながら、袋回し句会を開いたことなども今では懐かしい思い出だ。
前置きが長くなってしまったが、掲句の作者の作句の動機は、「洗ったレタスの水分が手を伝い落ちる感触に、我が手が自分の一部であるかのように感じられた。」からだったそうだ。作者がレタスを洗う時、手を伝ってくる水を介して、自分自身の手にもレタス同様の瑞々しさが潜んでいるように感じた作者が、自らの手の存在を強く意識すると同時に、急に愛おしさを感じたのかもしれない。レタスと自分の手が水を介してシンクロした瞬間に。
前述の櫂さんのセロリの句も掲句同様、水と良くお似合いだ。それもその筈、人間も体重の60%は水、レタスはその95%が水ということだから、水と相性が良い訳だ。掲句は、レタスと水との深い縁を通じて、生命感溢れる人の手の存在を認識するに至らしめた佳句である。
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