岡山大学俳句研究部より、8月の俳句が届きました。

今月の句は「雲の峰応援団室にひとり」です。

俳句のぼり

解説

掲句の季語は、「雲の峰」で季節は、勿論、夏。いわゆる入道雲と呼ばれる積乱雲のことであるが、雲の峰と換言することによって、その高さが、一気に際立ってくる。

筆者は、この季語に会う度に、暑い夏に挑もうとする心がどこからともなく湧いてくるので、好みの季語のひとつである。

上五/中七の措辞から、主人公は応援団の一員だという設定であるが、何故にひとりなのか?団室で独り何をしているのだろうか?自分だけ応援団の一員として応援に行けなかったのだろうか?などなど様々な想像を掻き立てられて面白い。

下五の「ひとり」をどう理解するかで読み手の鑑賞が大きく分かれてしまう。

応援団と聞けば、夏の甲子園のことを、直ぐ思ってしまうが、果たしてどうだろう?

雲の峰の圧倒的な強さ、勢いと、「ひとり」との落差からは、巨大な物を前にして、何もできなかった自らの無力感を代弁させているようにさえ感じられるが、本当のところはどうだったのだろうか。

掲句の選者は、「雲の峰といい、応援団といい、眩しい夏の印象を纏う語彙が続いたのちに、すとんと落ちるように「ひとり」と締め括られることで、蒸し暑い部屋のなかにいる自分と窓の外の夏との距離を感じさせると共に、応援団員として過ごし充実していた夏が、直に果てることをふいに悟り、孤独にじわりと囲まれていることを感じることになる時間の静けさがとてもよく表現されている一句だと思いました。

また、「応援団」から想起される賑やかさと応援団室にひとり居る静寂、窓の外と室内との距離感なども、すっきりしている句の中にしっかり対比されていてアクセントのある句だと思います。そこに「雲の峰」という対象までの遠さと、そこまではおよそ手が届かないということを認識できた結果、根源的な懐かしさや憧れまでが立ち現れてくるようで、季語がとても活きていると感じました。生ぬるい室温と遠い蝉の声まで伝わるようで、とても好きな一句です。」

と感想を記してくれている。実に想像力の逞しい選者である。

一方、作者は、掲句のきっかけは、夏の高校野球であったと語ってくれているが、確かに、3年生は夏の大会が終わると、選手達も応援団という立場の生徒たちも、受験を控えて引退という憂き目に晒されるほかない。作者の応援したチームは残念ながら、敗戦を目の当たりにしながらも、やりきったという清々しい達成感と、勝ち進んでくれればまだまだ応援できたのにという悔しい気持ちのせめぎ合いを、一句の中に表現したかったそうだ。

その時々の心境によって、物の見え方が異なってくることは、周知のことであるが、掲句の雲の峰の見え方も、見る者の心の在り様に左右されて当然だ。

勝者を称えるように見える時あり、逆に、敗者を突き放すかに見える時もありながら、実は、大きな見えない力で慰めてくれるかのように、今日も「雲の峰」は、目の前に立ちはだかっている。

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