岡山大学俳句研究部より、6月の俳句が届きました。
今月の句は「端居して犬の名前を尋ねけり」です。
俳句のぼり6

解説

掲句の季語は「端居」、歳時記よると「室内の暑さを避け、縁側や風通しの良い端近に座を占め、涼をとることを云う」とあるが、言葉を反芻すればするほど、この忙しない現代社会において、ゆとろぎ(アラビア語の「ラーハ」=「ゆとり」+「くつろぎ」の合成語)感を髣髴とさせてくれて、とても心惹かれる言葉だ。

そんなことを考えていると、半世紀以上も昔の記憶が脳裏を過った。自宅に犬を飼っていた頃のことである。

当時はエアコンも普及しておらず、家中、昼間は逃げ場がないほどの暑さ、夕暮時になると、決まって風の吹き始めた縁側に行き、簾越しに庭をのぞき込むことになるのだが、必ず愛犬が寄ってきて、顔を舐め回してくれたものだった。

掲句にも、犬が登場するが、犬は主役にあらず、主役はあくまでも「端居」する私であり、句姿は、目の前を過る犬の名前を訊いてみたという極めてシンプルですっきりとした構造である。

作者は、作句のきっかけを、「端居という豊かな時間により、犬が通るという何気ない出来事でさえ、豊かなものに変わっていくように思えた」と語ってくれているように、いつも目にしている光景なのであろうが、その日は何故か普段と違った景に映ったのだ。些細なことにまで気が配れるほど、心にゆとりが生じた時間だったのかもしれない。

一方、句の 選者も、掲句を「微笑ましく、なおかつ特別な時間を感じられる句だと思います。」と感想を述べてくれているが、二人のこうした日常の小さなことに感動を覚えるという感性は、誰しもが持ち合わせているものではなく、しっかりとした自意識を持ち、自分の視座で、世の中を見ているからこそ可能になる技であろう。

 

スマホに縛られ、分刻みの生活を強いられている現代人にとって、日常生活の煩わしさや喧騒から逃れ、自分自身を取り戻すことのできる場所と自分だけの尊い時間は、生きていく上に欠かせないものだと思うが、作者にとって「端居」をした時が、まさにそれを実感できた瞬間だったのであろう。

普段から見慣れている日常の景に非日常を感じ取り、感動し、自分自身を見失うことなく、自らの存在を確かめることのできる作者の心の在り様は、これからの人生を送っていく上でとても尊いものだと思う。

 

私の敬愛する渋澤寿一さん(渋澤栄一さんの曾孫)は、現代の若者に向けて、次のように語り続けておられる。

…これからは「DO」から「BE」に移行していこうとする時代である。戦後~高度成長期を通じて、職業や職位に拘り、お金(経済)が一番という価値観が形成されてきた(=「DO」の時代)が、10年先には、今ある職業の半分が消えてなくなり、人間の替わりに、AIやロボットが仕事をこなし、人は週3日も働けば十分であるという時代を迎えようとしている。そんな時代に最も必要なことは、如何に生きていく(=「BE」)かが問われてようになってくると…。

掲句は、作者と選者共に、日常生活の中にある小さなできごとまでも、句に認める非凡さを持ち併せていることを再認識させてくれた佳句である。

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