岡山大学俳句研究部より、2月の俳句が届きました。
今月の句は「茶葉すこし赤くなりたる時雨かな」です。

俳句のぼり2月

解説

いつの間にか降り始めた無彩色の時雨と、時間の経過と共にほんのり色づいてきた茶葉の取り合わせによって、辺りの静けさとゆっくりとした時間の経過までもがくっきり浮かび上がり、まるで一幅の水墨画でも観ているような心地にさせてくれる魅力的な句です。

掲句の作者は「時雨の音と、茶葉が色を変えていく様子が、家で時間を過ごしている時の静けさを一層深めているように感じられた。」と感想を漏らし、選者は「部屋の中のゆったりと進む時間が、立体的に伝わってくる句だと思います。寒々とした外の世界と、暖かい空気の満ちている室内との対比も見えてくるように感じました。」と評しています。

 

近頃、お茶と言えば、ペットボトル入りのものばかりで、自宅で急須に湯を注いで茶を淹れるという光景を見たことのないお子さんも居るということを聞かせて貰い、苦笑したことがありますが、掲句の作者は、お茶が飲みたくなって、ペットボトルを頼らず、わざわざ自分でお茶を淹れるという方法を選択。今や、何ごとにもスピードが求められる時代ですが、そんな時代だからこそ、人間は、一見、無駄に見える様な時を大切にしなくてはならないように思います。

夏目漱石が、鉄道が走り始めた頃、便利になった世の中を皮肉って、この先どこまで便利になっていくのか気掛かりだといったようなことを、小説の中で漏らしていたように記憶しますが、当時からすると、現代は、漱石が感じていた頃のスピード感とは比較できないほどあらゆる分野で世の中の進歩していく速度は上がっている筈です。当時ですら、今の私たちから見るとのろのろ走っているとしか思えない陸蒸気の速さにギャップを感じていた人たちがいたぐらいだから、現代を生きる私たちは、きっと、漱石の頃とは比べものにならないほどのストレスを溜めながら生活しているに違いありません。

白洲正子は、随筆の中で現在を振り返りながら「美しいものは減った、何だかどんどん窮屈な世の中になってくるようだ。」と述懐していますが、漱石も、同じ様に感じていたのかもしれません。

 

そんな慌ただしい時代にあって、掲句のように作者自らお茶を淹れ、ゆるやかな時の流れを愉しむという心のゆとりはとても尊いものです。

茶人でもない限り、日常生活で、お茶を淹れるという行為に注目する機会は少ないと思いますが、そんな日常の小さな行為とその後の茶葉の色の微妙な変化にまで興を感じてしまう作者の鋭い感性、そして部屋の外に目を転じた時に実感したゆるやかな時の流れを無駄にせず、肯定的に享け入れて一句に纏め上げた手腕は見事。

ぎらつくことのない端正な句の姿から滲みだしてくる淡麗な味わいと掲句を生み出す原泉にもなっている作者の「心の豊かさ」にエールを贈りたい。

 

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