岡山大学俳句研究部より、11月の俳句が届きました。
今月の句は「暮秋の二そうのスワンボートかな」です。
解説
掲句は、秋の暮れのさみしい水辺に2艘のスワンボートを見つけた時に生まれたそうです。
句の選者は「『暮秋』という言葉により、静かで人気がない湖で目にした二艘のボートの存在感を浮き上がってくるようだと表し、スワンボートのペダルを漕ぐ音や、波の音までも聞こえてくるように感じます!」と、句から想起される景が、まるで辺りの音まで拾い上げて浮かび来るようです、との感想を作者に伝えてくれたそうです。
その鑑賞に対し、作者は、「これは、まさしく、わたしがイメージした通りの景を言語化してくれたもので、自分の意を汲んでもらえたことがとてもうれしい」と率直に感想を漏らしています。
掲句の選ばれることのなった背景に、作者と選者の間で、このようなやり取りがあったことを知り、座の文学と言われる俳句の醍醐味を、偶然にも味わうこととなったお二人に、少々、嫉妬心を抱いた次第です。
それでは、句の鑑賞に移りましょう。掲句の季語は「暮秋」で季節は晩秋。似たような秋の季語に「秋の暮」があり、こちらは、その字の通り、秋の夕暮れのことを指しますが、「暮秋」は、一般的に「暮の秋」と表現されることが多く、秋がまさに終わろうとする頃を指すことばです。
そんな晩秋の湖に立った時、目の前を、二艘のスワンボートがゆっくり進んでいくのが見えた。
辺りから聞こえ来るものは、穏やかな波音とペダルを漕ぐ音、そして推進翼より滴り落ちる水音、目には、ただボートの後に二条の澪が寄添うように広がるのが見えるだけという光景で、他に動くものは何ひとつなく、視覚と聴覚が否応なしに研ぎ澄まされてゆく晩秋の一齣です。
とてもシンプルな構図ですが、掲句には注目すべき点があります。それは、中五に置かれた数字の「二」。
俳句の技法のひとつとして数字が使われることは多く、
・鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉(蕪村)
・四五人のみしみし歩く障子かな(岸本尚毅)
・三面鏡にずらりと一人神の留守(櫂 未知子)
などが良く知られていますが、いすれの句も、数字で具体性を持たせながら景を再現しています。
読んでみると、それぞれの句において、取り上げられた数字の必然性が理解できます。
掲句の場合も同様で、もしも、「二艘」が、「五艘」とか「六艘」とかに増えたらどうでしょう。
景は一転、賑やかなものになって、季節は一気に春や夏まで逆戻りしてしまいそうだし、逆に「一艘」になると、寂しくなりすぎて、季節が冬に先送りされてしまいそうです。
このように、俳句に取り上げられる数字には、とても重要な意味があり、掲句の場合、数字の「二」の斡旋があって初めて、「暮秋」と響き合う様に思えてきます。
そう考えると、スワンボートの浮かぶ姿から、「二艘」と「暮秋」の出逢いの必然性を演出した作者の感性なくして掲句の生まれる筈はなく、偶然、出くわした景から、必然を生み出してくれた作者の力量にエールを送りたいです。
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